こんにちはウルフです。
私は1年前の8月、適応障害で会社を3ヶ月休職して結果的に辞めました。
私の適応障害を加速させたのは8月、ライブ後の出張です。
当時は、ライブを素直に楽しめずゾンビのように秋葉原を徘徊し、出張先のホテルに行きました
とにかく不安で、吐きそうで、悪夢にうなされ熟睡できず、スーパーの惣菜の味がわからなかった。
なんなら、どのルートで秋葉原を徘徊し、どのようなルートで出張先のホテルへ向かったのかすら覚えておりません。
そこで私は、1度過去のルートを巡り出張先のホテルに泊まってみることに決めました。
- 適応障害から1年経った今ではどのように感じるのか?
- トラウマの場所を巡っても体調の変化はないのか?
確認と実験です。
適応障害になった人は1年でどのように変わるのかを知って頂ければと思います。
秋葉原を当時の記憶を辿って徘徊してみた
出張先に行く前、秋葉原を徘徊していた記憶があるのでまず秋葉原へ向かった
マジでどのルートで徘徊していたのか覚えていない…
ということで、とりあえず歩いてみた
ん~~思い出せん….
私は基本旅行先のルートは覚えているんですが、全く思い出せません
当時は視界がぐにゃぐにゃでとにかく頭が痛かったんですよね
とりあえず、らしんばんというアニメ関係の中古ショップに向かうことにしました
らしんばんに到着
ここに来た記憶がありました。そういえば、何か店の中をとりあえず徘徊してましたね
そこは思い出せたので、再び徘徊
秋葉原広い…
平日なのに人が多いね
流石日本一の電気街やね
そういえば、とらのあなとアニメイトにも寄りましたね。
何を買うわけでもなく、楽しむわけでもなく、
「明日が怖い」
これだけが心に浮かんで徘徊してました…
この場所は覚えています。
とらのあなにて、バーチャルYouTuberキズナアイのイラストレーター『森倉円』さんの個展が開かれていたことを
私はこの個展がなければきっと絵を描くこととオタクを絶対辞めてました
とにかく、イラストが可愛くて素敵で、イラスト集や同人誌を全て購入し、出張先のホテルで練習しまくりました。
森倉さんには感謝しかありません…
だんだん思い出してきました、最後にボークスの6Fまで上がってただ降りてきて、そのまま電車に向かってましたね…
ほんとあの頃の自分はゾンビです。
ただあてもなく秋葉原という街をさまよってました。
そしてトラウマの出張先のホテルへ
かつてのトラウマ、出張先のホテルへ向かうことに。
確か、日比谷線で浅草へ向かってました
北千住…ここで私は上司に置いてかれそうになりました
右も左もわからないのに…
しかし、一緒に出張に来ていた人が私を探してくれたので何とかなりました
あの方には感謝しかない、ありがとうございました。
浅草に着きました、内心ドキドキでしたが着いてみると全く大したことなかった
あの時、確かセブイレにて緑茶を購入したので同じように緑茶を購入
なるべく同じルートを辿るように….
駅の道中は割愛ですが、トラウマの駅近くに着いた時の感想
「こんなに綺麗な町だったんだ…」
当時はとにかく嫌すぎて、景色を見る余裕すらなく「なんなんだこの田舎は!」と絶望してました。
駅についた時、無心で、ずっと不安で、ドキドキしてスーツケースを転がしながらホテルへ向かっていたことを思い出す。
今回は違う
ただただ、景色が綺麗で歩いている途中ちょっと泣きそうでした
かつての出張先のホテルへ到着、当時と全く変わらない部屋だった
しかし、心は大分穏やかだ、むしろ調子がいい
この瞬間こみ上げる思いがあった
「この、1年前はほんとに辛かった…ほんとに…俺はもう大丈夫なんだ…」
そう確信して、涙が出るわけでもなく、しばらく放心状態になった
俺はもう過去を乗り越えたんだ
調子にのって夜ご飯を買いすぎた…
当時は出張だというのに、「夜ご飯はスーパーの総菜を買って、各自の部屋で食べること」と言われ絶望を感じ、総菜の味を感じなかった
というか、ご飯の味が分からずお酒で流し込むという最悪な食べ方をしていた
うまい…飯がうまい…..味がわかる
箸が止まらず、すぐに完食した。
以前の自分なら
- 吐きそう
- 飯は胃に貯まればOK
- 酒は嫌な気持ちを忘れるための手段
こんな気持ちでいたが、全くそういう気持ちが湧き上がってこない。
私はもう過去を乗り越えたんだ、1年で人は変われるんだ
私はもう大丈夫、適応障害になっても人は1年で変われるのだ
人というのは一年でかなり変われます
過去の経歴など関係ない
たった、1年という期間。
不安や悩みすら置き去りにして「自分」という人物は変わっています。
よって、仮にうつ病や適応障害になっても落ち込まず、大分休んでからまた復活すればOK
私は今回の旅でもう大丈夫だと確信しました。
あとは、コツコツと積み上げを続け、結果を出すのみ。