人生は樹海だ。こんにちは、ウルフです。
私の毎日というものは、とても充実していて
- 楽しんで仕事をしていて
- 職場の人間関係は良好
- 入社3年足らずで役職につき
- 休みの日はブログとイラスト活動に没頭
- 聖地巡礼やライブ遠征のため高頻度で東京へ旅行する
といった感じで、緊張感ありつつも最高に充実した毎日を送っています。
仕事も日常も楽しい人生を送っている私ウルフですが、高校時代はただの黒歴史
黒歴史過ぎて一歩間違えれば、犯罪者になっていたかもしれないし、最悪の場合自ら命を絶っていたかもしれません。
おかげで、高校1・2年の楽しかった記憶なんてほとんどない、、、てかモヤがかかってあんま思い出せない
中高時代のトラウマが夢に出て、たまに冷や汗をかきながら起きることは今でもあります
当ブログのコンセプトは「恥をさらして、他を幸せに」
ということなんで、今回は悩める中高生などに向け
私の実話ベースで高校時代の黒歴史を当時を振り返りつつ赤裸々に公開しちゃいます。
【赤裸々】全てが実話!ブロガーウルフの高校黒歴史ファイル6選
私の高校時代に体験した黒歴史は以下の通りです。
- 高校デビュー失敗からのボッチ
- 勉強についていけずプライドがズタズタ
- 教師という存在に絶望する
- 部内最弱、男子部員からバカにされ、女子部員からの八つ当たりされる
- 部活の先輩から酷いイジメに遭う
- 文化祭丸1日をトイレで過ごす
順番に紹介してきますね。
黒歴史①:高校デビュー失敗からのボッチ
「あいつ、高校デビューしてる―。しかも明らか失敗しているよなwww」
というような奴は、そうです私です。
私は初っ端で、高校デビューに失敗しボッチになりました。
デビュー失敗した理由は知っています。自分に合わないキャラで無理をしたからです。
高校入学当初、自分のキャラでないうざがらみを繰り返していました。
ホンマにもうイキリ散らかしてましたね、今思うと恥ずかしい痛いヤツでしかない。
ウザがらみをしてしまった理由としては、中学時代が影響していまして
私が中学生の時は、部活の後輩にはなめられ、同級生には突然殴られて散々。
嫌いな同級生から離れるために、偏差値が比較的高い高校に行き「これまでの自分とは違うんだ!!」という気持ちで望んで高校生活を始めました。
最初はクラスの人達と仲良く話しているつもりが、そのうち段々とみんな離れていき、最終的に自分の周りに誰もいなくなった……
みんなが離れていっている事実に気づいた途端、人と話すのが怖くなりひっそりと生きるようになりました。
そこからは、ボッチ街道まっしぐら。ボッチがこじれて、コミュ障の陰キャになるという悪循環
まさか、高校から暗黒街道を歩んでいくとはね、当時は思ってもみなかったよ
高校2年くらいまで、体育の「2人ペア作る」っていうのがマジで地獄だった
黒歴史②:勉強についていけずプライドがズタズタ
高校に入った途端、勉強についていけず、成績がグングン落ちて行ったヤツはそうです私です。
私は高校に入った途端、得意だったはずの勉強についてけなくなりました。
理由としては学力低い中学校から学力高い高校へ進学したから。
私の中学校って、当時学力がトップクラスに低い学校だったんですよね。
そこから進学校にいくと一気に周りのレベルが上がるわけで、宿題の量も授業の難易度も跳ね上がります。
私は学力最底辺の中学校で、学力が上の方だったもんだから
「俺は、勉強ができる!!勉強しか取り柄がないんだ!!」
というような、強みが勉強しかないと思い込んでいた勘違い野郎。
そんな勘違い野郎が高校に進学するとどうなるか?
- 成績は右肩下がりに落ちていき
- 毎回赤点回避するため超必死
- 授業もついていけなくて、おいていかれる一方
ここまでくると、プライドがズタズタに引き裂かれます。
唯一の自分の取り柄が勉強しかないと思っていたのに、その強みが奪われた時の絶望感ってまじ半端ないですよ、、、
「俺には強みなんて何もないんだ、、、」
高校の時に一度、自信も自尊心も得意分野も根こそぎ奪われました。
黒歴史③:教師という存在に絶望する
私の嫌いなモノ、それは「教師、トマト、ジェットコースター」
私の教師嫌いに拍車をかけたのは高校時代、あらためて教師に絶望しましたことが原因です。
理由は「教師なんて所詮、口だけだなぁ」と痛感したから。
少し長いエピソードになりますが、あれは高校2年の時の話です。
成績が右肩下がり過ぎて、化学のテストが20点くらいを取ってしまいました。当時高校2年生の私は「このままじゃまずい」と思ったわけですよ。
それでテスト後、わからない所を聞きに行ったら
「ばかもん!放課後の勉強会に来ないからや!お前もこい!そして、わからなかったら答えてやるから質問しにこい!」
って普通に怒られたんですよ。怒られたから、部活を休んで、放課後の勉強会に行って、わからないことを聞きに行ったら。
「こいつがわかるからコイツに聞け」
と言われ、突き放されたように感じました。
言われたことが予想以上にショック過ぎて、質問ができず勉強会は終了しました….いったい何の時間だったんだろうね?
私はこの一連の出来事があってから、人に頼るということをあまり考えない人間になってしまいました。
「それぐらいでなんなんだよ。」とか言われそうなんですが、高校生の私にとってこの出来事はマジでショック過ぎました。
ただでさえ、学校で頼れる人がいないボッチだったから、教師が唯一の頼れる人だったんです。
突き放されたら、もはや学校内に頼れる人なんて一人もいません。
それに加え中学の時も、私は推薦入試のために必死に頑張った努力が、教師のおかげで水の泡となり何の対策もできないままボロボロに落ちた経験もあります。
おかげさまで、私は今でも教師というものが嫌いだし信用をしておりません。
確かに、過去にお世話になった教師もいるし、授業が楽しかった教師もいます。
ですが、そんな思い出がかすんでしまうくらいに教師が嫌いです。
私がお世話になった小学校の先生がこれを聞いたら、きっと悲しむんだろうな、、、ゴメンナサイ
まぁ、今ではその経験が活きて「誰にも頼らずまずは自分でなんとかしてみる」というスタンスができあがったから結果オーライなのかな。
黒歴史④:部内最弱、男子部員からバカにされ、女子部員からの八つ当たりされる
私の高校時代は卓球部だったわけですが、高校2年くらいまで部内最弱だしわりと酷い扱いを受けていたと思います。
当時の、私の部活での立場というものは
- 同学年の中でも、男女含めトップクラスに弱い
- 自分だけ中国人コーチの練習には一度も入れてもらえず
- 新たに入ってきた初心者の1年に負けかける(てか、負けた)
といった感じで、絵に描いたようなクソ雑魚。
その焦りからか、ガムシャラに練習しては、ボロボロに負けて、イライラして、ガムシャラに練習して、ボロボロに負けて、バカにされて、イライラして、ボロボロに負ける…..といった悪循環が続きました。
勝てなくてイライラし過ぎて、ドアを強く締めたり、ラケットを放り投げたり….などモノにあたったりしてました。
今思うとほんとうに愚かだったと思います、何してんでしょうね。
モノにあたってイライラしたところで何も解決しないのに
同級生の男子部員からは「練習してんのに、全然勝てないやんwww」とひたすらバカにされていました。
あと、なんかね女子部員に練習中八つ当たりもされたりしました。
意味もなく、必要もないのに、思いっきり私に向かってスマッシュを打ってきたんですよ
一言も謝らなかったし、理由も不明です。
ただ「あいつはマジで嫌いだし、クソ女」とだけは言えます。
黒歴史⑤:部活の先輩から酷いイジメに遭う
部内最弱、男子部員からバカにされ、女子部員からは八つ当たりをされる
これだけでも、まぁまぁ酷いのですが加えて先輩からも酷いイジメを受けていました。
特に部活の合宿、、、これはマジで辛かった….
先輩から寝てるときに殴られたり、制汗スプレーをかけられたり、一発ギャグなどを無理矢理やらされたり…など、4日間毎日酷いことをされました。
中でも特に酷かったのが
合宿中毎日3食、ご飯とおかずに大量のドレッシングをかけられたこと
全部食べないと殴られるし、「お前、絶対に先生に喋んなよ」とか言われて脅されるし
周りのみんなも逆らえないのか、笑ってるばかり、先生も気づいているのか気づいていないのか….誰も助けてはくれない
みんな知ってるかい?ドレッシングがついた揚げ物って最高に不味いんだぜ……
当時の私は身体が小さくて、気も弱く、ネガティブ思考だったので何も言い返せません。
これを地獄と呼ばずに何を地獄と呼ばずになんと呼ぶのだろうか?
しかも腹が立つことに、そいつは外面が良くてうちの親には良い先輩という感じでいてた….ムカつく今なら絶対にチクる
私は今でも野菜にはドレッシングをかけずに食べてます。食べれないことはないんですけど、ドレッシングを見るとイジメの出来事を思い出して美味しいと感じない。
もしかしたら、身体にイジメの記憶が染み付いているのかもしれませんね。
私は現在、強くなりたい一心で筋トレを3年継続していますが、先輩からのイジメを思い出しながらやると凄く身が入りますね。
そういった意味では、まぁいい経験だったのかな?いや、良くはないか….
黒歴史⑥:高校2年生の文化祭をトイレで丸1日過ごす
「陰キャ、ぼっち、コミュ障」にとって最悪なイベント、それが文化祭。
クラス行事には強制参加だし、文化祭周るにしても一人でいる姿を見られたくはない。
私は高校2年の時は、文化祭を乗り切るべくトイレで丸1日5時間ほど過ごしていたことがあります。
これはねぇ、私の高校生活の中で先輩にドレッシング入りの飯を食べさせられた時よりも辛かったし苦い思い出
文化祭って普通楽しいものじゃないですか?
- 友達と放課後遅くまで残って、準備したり
- 他のクラスの出し物を見に行ったり
- 気の合う友人と適当に屋台を巡り歩いて話し合ったり
- 好きな女の子と一緒に屋台を周り、告白したり
授業を忘れて、教師と生徒の垣根を越えて、クラス一丸となって、楽しむ学生にとってお祭り
それが文化祭。
でも、ボッチな私にとっては話が違う
一人で屋台を回るしかないから、何も楽しくない、最低最悪なお祭り
同級生や部活の人達に一人でいるところを見られた日には、もう最悪だ
さらに最悪なことに文化祭前日、母親から「あんたの高校の文化祭にママ友と行くから」といった地獄のような連絡が来ました。
当時、私は友達がいないことを親に隠していたから「来なくてええから!恥ずかしいわ!」って全力な反抗期で拒否したんですけど、親ってそれでも子供の文化祭に来ちゃうんですよね~
「ヤバい、普段教室で喋らないヤツが文化祭で母親と話しているところなんて見られたら恥ずかし過ぎて死んじゃう、、、マザコンとか思わるかも」
と思うと、もはや地獄でしかない
わかりますよね?この気持ち
どうしようか、考えに考えまくった結果
誰も来ないトイレの個室で1日中こもることに決定しました
文化祭当日はホームルームが終わった後、即男子トイレの個室に駆け込み
スマホをいじりながら1日中、時間にして6時間ずっとトイレで過ごし
男子トイレに他の生徒が来る度に、まるでスネークのように息をひそめる
親にも見つかりたくないから、昼食も取らずただひたすらトイレで耐えていました
結果的に、なんとか誰にも見つからずに文化祭を終えることができました。
家に帰宅してからの親子の会話
母「あんた、見かけなかったけど。どこにおったん?」
私「えっと、、、6階ので体育館で演劇を見てたら眠くなってずっとそこで寝てたわ」
なんとかごまかし切った後、なぜか涙が出てきました。
過去がいくら黒歴史でも、良くない結果に至らなかった理由
今思い返してみても、高校時代が黒歴史過ぎる…..あまりにも黒歴史過ぎて
「自分はもしかしたら、自殺や犯罪に走ってもおかしくない人間だったんじゃないか?」
というように考えたりもする。
みなさんも記憶に焼き付いている、京アニ放火事件
容疑者の証言を聞いた時、許せないんですが、過去の自分を重ねる部分も多々ありました
思い当たる節があり過ぎて、めちゃくちゃ怖かったし、恐ろしかった。
そこでふと思ったのが「どうして自分は悪い結果に至らなかったのか?」
この理由について考えたのですが、結論としては環境に恵まれていたからですね。
自分の存在を認めてくれる人がいると、人は頑張れる
人って認めてくれる人が最低一人でもいると、どんなに苦しくとも一歩踏み出して頑張ろうという気になれるものです。
当時の私は学校で本当の自分を出すことが怖くて、自分の虚像を作っていた。
でも、家族や親戚の前ではありのままの自分でいれたし
親戚のおじちゃん、おばちゃん、爺ちゃん、婆ちゃん、父さん、母さん
「頑張っているからね」と自分を認めてくれた。
私は周りにいる人のおかげで、ものすごく頑張ることができて、高校3年になってようやく人生どん底から大逆転を果たしました。
今では、そんな黒歴史を感じさせないくらいに充実した人生を送ることができています。
誰も認めてくれないなら、私が認める
追い詰められて、何もうまくいかなくて、辛い人は周りを見渡してみて下さい、
あなたを、認めてくれる人はいますか?
あなたを、応援してくれている人はいませんか?
もし、いるならあなたは大丈夫!その人のために動くだけです。
もし、いないなら代わりに私があなたを認めます!!応援します!!
君はやろうと思えばできるんだよ!!!
ちょっと、今がうまくいかないだけだよ!!!
【総評】人生は生きているだけで丸儲け
高校時代が黒歴史で地獄だった私が感じたことは
人生は生きているだけで丸儲けということ。
生きている限り何度だって挑戦できるし、何度だってやり直せる
私は生きていたおかげで、今は毎日充実しているし、楽しい日々を過ごしています。
一度つらい経験や苦しい経験をしておけば、人生その後がめちゃ楽になるし、経験が大きな武器になります。
生きるって、、最高!!
こういったらなんだか「不謹慎だ!」と言われそうな気がしますが
つらい目にあっている時点で、長期的にみたら人生もう丸儲けなんです。
あとは、そこからコツコツ積み上げて這い上がるのみ。
高校時代がどん底だとうが今がどん底だろうが全く問題なし!
とりあえず生きて、とりあえず何かに挑戦していこうぜ!!
黒歴史だった高校の同窓会に参加してみたよ